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含めて全体性において把握するという姿勢|これこそがマルクス主義
の復権を望むのであれば必要なはずだがは、生じがたい。他方、正統
教義の確立にもはや興味を持たぬものが、彼らの議論の科学主義的・客
観主義的側面だけを受け継ぐのも極めて容易である。理論的主張に政治
的権威を与、えるという「正統派的」スタイルを保持しているからこそ「政
治的実践」の「貧寒き」に疲れ果てた人々に一種の転倒した解放感を与
えることになった。七十年代以降、ある範囲内で多くの人々に彼らの著
作が読まれた理由はここにあるのではないか。あるいは、宇野弘蔵によ
るマルクス改釈(『経済原論』上・下、岩波書店、一九五
O
、一九五二年)
は、『資本論」を脱神話化するそれ自体としては独創的な優れた業績では
あろうが、労農派アカデミズム一般と同様に、それと類似した効果を与
えたのではないだろうか。また、『資本論』草稿研究の第一人者佐藤金三
郎の「ジレンマ」(高須賀編「シンポジウム「資本論』成立史」新評論、
一九八九年)もこれらの点に関わっているのではないか。これに対して
福本は、「プラン問題」の提起と『資本論』の方法論的研究の先鞭を付け
たが、これらが実践的問題関心と切り結ぶ具体的経済学研究から自立化
していくことには、マルクスが唯物史観を展開するためには経済学研究
に取り組まなければならなかったことに留意を求めつつ、異を唱えてい
た。(二・四
Oi
二ページ)
(9)
『革命回想』第三一部「自主性・人間性の回復を求めて」、インターブ
レス、一九七七年、特に「第一一章生産協同組合論からみた本来のマル
クス主義とレ
l
ニン主義」参照。
(m)
原典への回帰というスタイルをとった理論的創造は、当然のことな
がら多くの引用を含むことになる。このとき引用は、原テクストを新し
いコンテクストの中に置き直すことであり、その新たな配置
H
位置関係
の中で作動きせること、新たな体系を織り上げることである。この意味
で、福本における引用はまさに理論的な創造であるといえる。実際、彼
の引用は、すべて方法論的な例示の意味を持ち、それを新たなコンテク
ストの中で具体的に活用することが常に目指きれている。通説にいわれ
る「引用を持って論証に代、える
L
という批判は浅薄である。
結
福本のいう唯物史観の理論的な位置を、ここで明確にしてお
こう。『フォイエルバッハ・テ
l
ゼ』や『ドイツ・イデオロギー」
において確立されている、方法論的な立場や歴史の学の全体構
想は、唯物史観確立の重要な契機であるが、もっとも厳密な意
味での唯物史観ではな(叫。福本にとっては、厳密な意味での唯
物史観とは、ブルジョア社会における具体的研究の展開、すな
わち「資本論』の範囲を越えた「経済学批判」さらには「政治学
批判」「意識形態批判」(了二三一了三ページ)を前提として可
能になる理論的総括の体系化に他ならない。この過程は、マル
クス自身に見られるごとく意識形態の批判から経済学批判へと
一旦下向し、そこから再ぴ政治過程の批判、意識過程の批判へ
と上向する運動であるが、「かくの知き下向、上向の運動は、下
層建築の展開拡張的再生産過程|と共に、逐次繰返されねば
ならぬ。しからずんば、一の原理は直ちに観念化され、固定化
され、社会の現実性と議離してしまう」のである。(一・二一一五
ページ)唯物史観はこの意味で、マルクス自身においては未完成
なのである。かくして確立されるべき唯物史観は、「永き人聞の
歴史に於いて我々のみが始めて成就しえた」「我々のみの持ちう
る誇りであり力であ」るところの「一つの単純化した見とおし
つく」社会形像
H
「社会形像の統ごを実現するものであり(一・
六八ページ)、これこそが自己疎外の状況下にある「労働者」が
「意識の事物化」を克服するための「無産者階級の其の解放の精